わたしが生きたい社会ってどんなだろう?
そのヒントは、北欧にあるかもしれない。

わたしたちが北欧で見たこと、感じたこと、そして、語りたいこと。
大学生たちが現地よりお届けします。

デンマークから見る日本の代表制の課題

「代表制民主主義(間接民主主義)」という言葉、どこかで一度は聞いたことのある単語だと思います。

主権は国民にあり、しかし、国民全員が直接話し合って物事を決めたり、意思を直接政治に反映させるのは難しいため、代表者を選び、その人たちに政治を委託する仕組みです。

この仕組みがうまくいく、つまり代表制が民主的であるためには、国民が「この人(政党)は私の意見を代表してくれている!」と思える人が政治の場にいるという前提がとても重要になると思います。
 
では、あなたの頭に自分を代表してくれている政治家が浮かびますか?
複雑で多様な日本の社会を、国会の場はちゃんと反映していると言えるのでしょうか? 


デンマークに比べて日本は投票率が低かったり、一般的に「日本人は政治に無関心だ」 と言われますが、その一つの要因が、実際の社会の構成員と国会の成員とのギャップ、つまり日本の政治家が日本国民をうまく代表できていない状態があることかもしれないと考えました。

日本の政治が行われる場が日本社会をうまく反映し多様性に富んでいると言えるのか、そしてその状況を生み出す仕組みについて考えてみたいと思います。

性別のアンバランス

日本で女性の政治家が少ない、ということは度々指摘されます。
世界の現状と比較してみると、その特異性が見えてきます。
日本の議員の女性比率は9.5%とのデータが示された=列国議会同盟
日本議員の女性比率(https://www.cnn.co.jp/world/35089819.html より引用)





”日本は世界有数の民主大国かも知れないが、こと女性の政界進出となると進んでいるとはとうてい言えない。列国議会同盟(IPU)のデータによれば、日本の国会議員(衆議院、定数475)に占める女性の割合は10%未満。サウジアラビアや南スーダンと比べてもはるかに低く、ランキングにある200近い国々の中で157位だ。”

と書かれています。2019年の世界の女性の議員割合を見てみても、 日本は13.8%で世界193ヶ国中144位。OECD 諸国の中で最下位なのは言うまでもなく、他の多くの国からも政治参加という文脈での男女平等の観点からは後れを取っています。

1位は55.7%のルワンダ。ルワンダでは、ジェノサイド後の新政府がクオータ制(*)を導入し、今では議員の少なくとも30%は女性にするよう憲法で定められています。よって、もともと世界で女性議員の割合でトップに立っていた北欧諸国を追い抜きました。ルワンダだけでなく、クオータ制を定める国は増えています。


(*)クオータ制:政治における男女平等を実現するために、議員、閣僚などの一定数を女性に割り当てる(何%以上などと決める)制度
参考:https://kotobank.jp/word/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%BF%E5%88%B6-482724

デンマークは37.4%で、世界24位についていますが、クオータ制は定めていません。北欧諸国でいうと、フィンランド(2011年:41.5%)はデンマーク同様クオータ制が無く、一方スウェーデン(47.3%)、ノルウェー(40.8%)、アイスランド(38.1%)はクオータ制を導入しています。


年齢のアンバランス

日本国民の代表者である国会議員たちの年齢層はどのようになっているのでしょうか。
2017年の衆議院選で当選した国会議員の年齢別の割合は以下の通りです。


https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_election-syugiin20171023j-12-w340 より引用

20代はゼロ、30代も約7%と若い世代が非常に低い割合で、一方40代以上が当選者全体の92.9%も占めています。日本全体の人口が少子化しているとはいえ、実際の人口の中で40歳以上の割合は61.1%です。それと比較しても、30代以下の国会議員の割合が著しく低く、国会議員の大多数を40代以上が占めていることは明らかです。

内閣についても前回の改造内閣発足時(2018年10月2日第4次安倍改造内閣)は50代が5人、60代が13人、70代が2人となっていて、40代以下はいませんでした。20人の閣僚の中、女性は1人でした。階段に並んで立って写真に写る20人の閣僚たちの中に女性の姿はたったの1人だけです。


第4次安倍改造内閣
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Abe_Government_20181002.jpg 引用

一方デンマークでは、2015年にあった選挙の当選者の平均年齢が46.1歳、最年少が19歳、最年長が74歳でした。


https://www.regeringen.dk/media/6821/familiefoto_a-center_m-crop_w-860_h-425_quality-70.jpg 引用
先日(2019/6/5)行われた選挙で政権交代が決まり、3週間の話し合いを経て新しい首相が決まりました。デンマークで2人目の女性首相で41歳。閣僚の平均年齢は41.8歳。20人中30代が9人、40代9人、50代2人です。女性の大臣は20人中7人。それでも少ないんじゃないかと議論されているといいます。

こうして比べてみると、デンマークに比べて、日本の若い人たちにとって選挙で「自分の代弁者」になってくれそうな議員を選ぶのは難しいのかもしれません。

どうして候補者たちの多様性にここまでの違いが生まれるのでしょうか。 さまざまな理由があるとは思いますが、ここでは制度面から2点指摘したいと思います。

①被選挙権を得られるのが遅い

国政選挙の場合、衆議院選の被選挙権は日本国籍を持つ25歳以上、参議院選に至っては30歳以上に与えられます。選挙権は18歳から持っていても、投票する相手を約10歳以上離れた人たちからしか選ぶことができません。自分たちと同じ世代を代表し、同じような社会への問題意識や関心を共有している候補者を見つけることが難しくなるでしょう。

国際的に見ても、世界の半数以上の国では被選挙権年齢を18~21歳に定めています。被選挙権が低い国ほど相対的に政治家の年齢が低くなることもわかっています。(参考:rights.or.jp/archives/1952

デンマークでも、コペンハーゲン大学経済学部生で21歳Kira Peter-Hansenさんが今年5月に行われたEUの選挙で当選し史上最年少の欧州議会議員になりました。「政治の場に若い人や女性が少ないと言われているから誰かがやらないと」とEUの選挙に出馬してみたところ、当選したため、じゃあ休学して政治家として活動しよう、と決めたそうです。

また日本では参政権として18歳から「選挙権」を得ますが、同時に「被選挙権」を得るわけでは無いので、政治参加とは「投票すること」にとどまり「立候補すること」が自分事になりにくくなっているかもしれません。


②供託金制度 

 二つ目は供託金制度です。
供託金とは、選挙に立候補する者が届け出の際に納入しなくてはならない一定の金額。町村議会議員選挙は除かれる。選挙で得票数が一定数に達しないと没収される。無責任な立候補の乱立を防止するための制度である。…衆議院議員総選挙では,供託金は 300万円で,候補者の得票がその選挙区の有効投票総数の 10分の1に達しないと没収される。(引用:https://kotobank.jp/word/%E4%BE%9B%E8%A8%97%E9%87%91-159356

世界と比べてみても、日本の供託金は高額です。
海外には供託金がない国も珍しくなく、立候補者の濫立で選挙が混乱しているわけでもないようだ。男性側の調査によると、OECDに加盟する35カ国中、供託金制度が存在する国は12カ国でむしろ少数派だという。(引用:https://www.bengo4.com/c_23/n_9682/


被選挙権年齢、供託金はどこまで下げるべきか?【若者政策推進議連第一回総会】
https://www.huffingtonpost.jp/yuki-murohashi/young-age_a_23445518/ より引用


上のグラフからも、日本の供託金がいかに高額かが分かります。 実際に、2014年の衆院選で供託金を用意できなかったために立候補が認められなかった埼玉県の自営業男性(50代)が、供託金制度は違憲だとして国賠訴訟を起こしたことがあります。しかし、東京地裁(杜下弘記裁判長)は2018年5月24日、男性の請求を棄却しました。判決では供託金制度について「立候補の自由に対する事実上の制約」と評価しながらも、国会の裁量権の範囲内などとして、違憲ではないと判断しています。男性は控訴する方針だそうです。 (参考:https://www.bengo4.com/c_23/n_9682/

デンマークはどうなっているのでしょうか。 デンマークでは、個人の経済的な背景が政治参加を左右すべきでないという理由から、候補者個人に供託金を請求していません。

日本では得票すれば返ってくるとはいえ、300万円(しかも返ってこないかもしれない)を納入するハードルはかなり高いように思えます。経済的に余裕のない人やまだ経済的に余裕の無い若い人たちは社会にたくさんいるのに、そういった人たちにとって政治家になるハードルが高く、そういう声を国政の場に届ける代弁者が生まれにくくなっていると言えるでしょう。


おわりに


今まで日本にいて何も違和感を感じたことが無かったことにも、他国と比較してみると良くも悪くも「これって日本特有のことなんだ」と気づくことがあります。選挙に関係するこれらの制度もそうでした。デンマークの選挙や政治について知るなかで、日本の代表制はうまく働いているのだろうか?と制度面から疑ってみることができました。

政党支部代表のマティアス君へのインタビューや、周りの友人などと話していて思うのが、彼らが政治家を「自分とは遠くで国を動かす”あの人“」ではなく「自分の声を政治に反映させるためのツールだ」と本当に捉えていることです。彼らにとっては「支持する政党が政権を取ること」が全てではありません。国政の場に自分の声を届けてくれる人を送り込むことが大事なのです。そうすれば、国政の場のディスカッションに自分と近い意見がきちんと反映されるから。

考えてみると、自分の意見を国政に届けたいと思うことは代表民主主義においてはあたりまえなことであるのに、「実際に自分もそう思えているか?」「日本の国会がそのような少数意見も尊重される議論の場になっているのか?」と考えると疑問が残ります。

日本の政治と人との距離を生んでいるのは、人々の無関心だけではなく、こういった既存の制度や無意識のうちに縛られていた制約、それによって生まれる国政の場の多様性の低さからも説明できるのかもしれません。そのような場から国民が望む政治が生まれるのを期待するのは難しいでしょう。


より良い日本の社会の未来のためには、まずは今保障されている権利を国民の1人としての責任を持ちしっかりと行使すること。加えて、システムについても現状維持にとどまらず、今回指摘した供託金の減額や、将来的には廃止を目指したり、被選挙権を選挙権と同じ18歳に引き下げるなど、国民が主体となって時代や社会に合った制度に変えるよう求めていくことも必要なんだなと思いました。