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フォルケでの共同生活から学んだ、自分との向き合い方

はじめまして、井上綾乃です。今年の1月からデンマークのKrogerup Højskoleに留学し、国際問題や環境問題について学びながら、自分自身とも向き合ってきました。そしてこのホイスコーレの生活を通し、自分らしくいるというのはどういうことなのか、気づくことができたので記事にしたいと思います。

自分らしくいること

私は先日まで、フォルケホイスコーレで約100人の生徒たちと一緒に生活していました。トイレとお風呂は共有で、二人部屋をベトナム人の子とシェアしています。朝起きてみんなで朝ごはんを食べ、授業に行き、みんなで掃除をし、お昼ごはんを食べ、午後の授業を受け、夜ごはんを食べ、アクティビティに参加して…。生活部分と学校的部分の両方においてみんなと時間を共有することがほとんどです。私のように二人部屋を利用している人にとっては、一人の時間がほとんどないと言って良いくらい、一人になるのは難しいです。
そんなフォルケで生活していると、四六時中だれかと一緒にいるため、自分らしくいることの大切さについて考えさせられます。ここでの生活では、常に自分の意思を確認しながら取捨選択をするという環境がありました。

ウェディングパーティーの様子。

自分の意思に沿った行動

フォルケでの生活では、「自分の意思」に目を向けることがとても重要になります。

例えば授業。テストがなく成績がつくわけでもないので、参加しないという選択をすることも可能です。日本にいた時には、単位のため、良い成績を取るために授業は行かなければいけないものであり、授業そのものの意味や意義について考えたり、「授業に行く」こと対する自分の意思があるわけではありませんでした。

しかし、フォルケは授業に参加しなかったからといって何かペナルティがあるわけではありません。学びたいことがあるから授業に参加する。授業を通して、さまざまな意見に触れることができ、いろんな人と仲良くなるきっかけになるから、参加する。行かなければいけないから授業に参加するのではなく、授業に参加することに意味を感じるから、そこに自分の意思があるから参加していました。

outdoorlifeというクラスで近くの海に行きました。

 また私のフォルケでは、毎週末様々なテーマでパーティーを行います。酔っ払い始めるとみんなはとてもフレンドリーになり、普段あまり話すことのない人ともたくさん話すことができます。
私はお酒は得意ではないため、みんながパーティーで楽しそうにしているのを羨ましく思っていました。初めの頃は少し無理をしていましたが、ただただ気持ち悪くなるだけで全然楽しめませんでした。しかし、お酒を飲むことをあきらめた時、パーティーをしている部屋以外のところでしっぽりと楽しんでいる人達もいることを知りました。

今まで大多数が楽しんでいるものは、私も楽しまなければいけないと思っていましたが、お酒好きなデンマーク人の中にもパーティーがあんまり好きではない人がいて、その人たちは他の人たちに無理に合わせるのではなく、パーティーには参加せず、自分たちのペースでお酒を飲んだり、ただ話したりゲームをしたりして、その人たち同士のコミュニティの中で楽しんでいました。

無理にパーティーに参加しなくてもいいんだ、自分のペースで楽しんでいけばいいんだ、と気づきました。決して多い人数ではないけど、だからこそ、いつもは話さないことを話せたり、そのメンバーで遊びに行ったりと、無理に楽しもうとするのではなく、自分に正直になったときに、本当に心地の良い居場所を見つけることができました。
 

自由時間がたくさんある中で、その時間をどのように使うべきなのかも自分次第です。学校で行われるさまざまなアクティビティに参加したり、疲れているときは部屋でゆっくりすることもできます。

天気の良い日には日向ぼっこをしたり、外でフットボールをしている子もいます。みんな思い思いに自分の時間を過ごしています。もちろん日本でいうグループのようなものもあります。しかしデンマークでの”グループ”は、もっと個人主義で、個人の集まりという印象を受けます。常にそのグループで行動しているわけではなく、日々違う人といる子や、基本一人でいる子などバラバラで、何かイベントがあるとグループ関係なくみんなで行います。みんな思い思いに、自分の気の合う人といる、何か面白そうなことをしている人がいたらそっちに行ってみる、ただそれだけでした。

日本にいた時は、人間関係に関して何か複雑に考えすぎていたような気がするけど、自分が何をしたいか、誰と一緒に居たいか、そんなシンプルなものなんだと気づきました。他人に合わせるのではなく、自分のやりたいことをして、そこで新しいコミュニティを作る。そんな時間の使い方を日本でも大切にしていけたらいいなと思います。

ルールや成績という外的動機が多すぎる社会で生きている今、自分の意思に目を向け、やらなければいけないことではなく、自分がやりたい小さなことに気づくことができるここでの生活は、自分の将来や、本当にやりたいことを考える上でのトレーニングになっているように感じます。

outdoorlifeクラスで木からスプーンを作りました。

人は違って当たり前

デンマークに来ていいなと思ったことは、みんなが自分の意見を自由に言える環境があることです。誰も他人の意見を否定しない。これはデンマークでの、人は違って当たり前、人に優劣をつけないという考え方につながっているような気がします。

そもそも、このフォルケの形もこの考え方に基づいていると思います。テストも成績もなく、いろんな人が交わりながら生活する。ともに一日中一緒に過ごしながら、他人のいろいろな面を見ることで、授業だけではわからない良いところ、得意なことを、普段の生活を通して見ることができます。
人のいろいろな面に目を向けることで、一つのものさしで測ることはできないということを気づかされました。
人はそれぞれ得意不得意があり、みんな良いところを持っている。それを出し合うことで、お互いの苦手な部分を補い合う。そして人は違って当たり前という共通理解の上で、自分らしさというのが発揮されるような気がします。

日本では、「出る杭は打たれる」という言葉があるように、大多数の人と同じであることが求められるように感じていました。多くの人が楽しいと思うものは楽しまなければいけない、逆に、多くの人が嫌だと思うことは、自分も嫌だと思う、といったように。みんな違って当たり前なのであれば、自分のやりたいことをもっと素直に表現できると思います。

ときには森林浴も。

まとめ

ここには、一人ひとり違って当たり前というデンマーク人の中で幼い頃から育まれた考え方のもと、みんな一人ひとり自分の意思を持ち、いかに自分が心地よくいられるかということにフォーカスできる環境があります。

時には、「これはboring(退屈)だ」と言って、授業やさまざまなアクティビティを途中で出ていくデンマーク人や他のインターナショナルの人たちを見て、「準備してくれている人たちに失礼だよ。」と思うこともありました。しかしその後、その行動によって授業内容やアクティビティが改善されるのを見て、それは一つの手段になりうるということに気づきました。

私は日本にいたとき、ルールや義務、周りの意見に縛られそれらによって作られた自分がいました。各コミュニティにフィットするように自分を使い分け、そこに本当の自分の意思はありませんでした。しかし、自分の意思に沿って行動している人たちと一緒に生活したことによって、一人ひとりが正直にありのままでいることで、ストレスの少ない、より良いコミュニティが作られるのだと気づきました。ここでは、いかに自分に正直になり、自分らしくいられるかということがとても大事に感じます。

自分らしくいることで、本当に気の合う友達に出会え、自分のやりたいことを見つけることができ、本当の意味で、今ここでの時間を自分らしく過ごすことができるのだと思います。


この記事を書いた人
井上 綾乃 
滋賀大学 経済学部 社会システム学科 休学中
デンマークの高福祉国家やライフスタイルに興味があり、2019年1月からKrogerup Højskoleに留学。将来はSDGsの観点を元に世界中の格差や貧困を無くすために働きたい。