わたしが生きたい社会ってどんなだろう?
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わたしたちが北欧で見たこと、感じたこと、そして、語りたいこと。
大学生たちが現地よりお届けします。

デンマークの大学進学事情と大学無償化の話〜教育における選別主義と普遍主義〜

日本の大学無償化議論

『給付型奨学金、7月ごろに予約開始 大学無償化』というニュースを見ました。

この給付型奨学金は、支援対象が住民税が非課税の世帯(世帯年収の目安が270万円未満)とそれに準ずる世帯の学生とかなり限定的です。記事のタイトルからすると、多くの国民に向けたもののように見えますが、実際は違うということです。

高等教育無償化の趣旨は以下の通り。
低所得者世帯の者であっても、社会で自立し、活躍することができる人材を育成する大学等に修学することができるよう、その経済的負担を軽減することにより、我が国における急速な少子化の進展への対処に寄与するため、真に支援が必要な低所得者世帯の者に対して、①授業料及び入学金の減免と②給付型奨学金の支給を合わせて措置する。



これを読んで率直に、「どうして低所得者世帯だけなの???」と思いました。
色々な制約条件などもあるのでしょうが、「え、本当にこれで良いのかな?」と思いました。
今回は日本とは全く異なる制度を持つデンマークの大学進学事情を紹介して、このニュースに対して私が感じたことを共有したいと思います。

データでみる日本とデンマークの大学進学に関する違い

①大学進学平均年齢

日本は高校卒業してすぐの18歳が平均年齢になっています。
一方、デンマークは19歳から26歳すごく幅が広いです。

Education at a Glance 2018から引用したので、詳しくはそちらを見てみてください。

②大学進学率

日本が57.9%。これは上昇傾向にあります。
『2018年度の大学・短大進学率、57.9%で過去最高に』

じゃあデンマークは?
日本はだいたい10代の間に大学進学をするので、大学進学率も計算しやすかったです。
しかし、①大学進学平均年齢でみたように、デンマークでは26歳で大学入学する人もざらにいます。
ということは例えば22歳の大学進学率を計算したところで、これから増えるということになります。

これは20代に限った話ではなく、デンマークでは職務経験を積んだ後に大学に行くことも普通にしています。学び続ける社会だし、必要な時に大学は行くんですね。
ということで納得いくデータが見つからなかったので、はい、終わり。

ちなみに26歳で計算してみたら50%超えているくらいでした。ただこの数値は高等教育なので日本の大学とは一致しないです。制度も違えばデータの取り方も違うので、国際比較は難しいですね。

③学費

最後に有名な学費の話。
日本はだいたい私立文系で100万円/年を4年間ですよね。
デンマークは国立しか大学がない&学士は3年間です。多くの大学生が修士までいくそうです。

そして、どんなにお金持ちでも学費は0円。さらに、毎月8万円ほどの生活費が支給されます。無料だけでなく、お金をもらって行くもの、それが大学です。
デンマークでは18歳になると親離れして国が保護者のようなものになるからこそ、こういう考え方になるのだと思います。友達に日本で親に学費を出してもらっているという話をしたら少し驚かれてしまいました。
そういえば、デンマークに来てから大学に実家から通うという人にまだ一人も会っていないです。

選別主義・普遍主義という考え方

デンマークの大学は、裕福な人も貧しい人も同様に無償であり、このような給付方式を「普遍主義」と呼びます。日本の教育制度では、義務教育とかが当てはまります。
反対に、今日本が行おうとしている給付型奨学金は「選別主義」という方式です。既存の制度だと、緻密に必要かどうかを調査して一定の規準以下の人に対してのみ給付している生活保護がこの方式です。

それぞれにメリットとデメリットがあります。
給付に限定をつける選別主義のメリットは、財政負担が少なくて済むということです。また、再分配機能を果たすことができます。
逆にこのデメリットは、「選別」するための事務コストがかかるということ、給付の限定のボーダーラインをつくるのが難しいということだと思います。
これに対して、「普遍主義」では選別する必要もなく、もらえる人ともらえない人の境目ができません。ただ唯一の欠点は、膨大な費用がかかることです。

どちらか一方が良いという話ではなく、どんな意図を持って政策を行うかによって使い分けるものです。そして、今のところ、大学の授業料に関して、デンマークは普遍主義を採用し、日本は選別主義を選択しようとしています。

デンマークにもある財政問題

大学に無料で通えて、しかも生活費まで支給される。
なおかつ、自分のやりたいことを追求して長期間学生をしていられる。

こんな夢のような世界は、国民の払う税金によって成り立っています
デンマークも先進国の例に漏れず、少子高齢化。

財政問題はひっ迫しており、徐々にこのシステムを維持できなくなっているようです。
8万円の支給額が下がったりするという議論もあるらしく、その議論が盛んになった時にはデモをするなんていう話も聞きました。自分たちの利益のために、自分たちで声を上げる姿勢があるんですよね。

ちなみに...留学生受け入れ制限も

記事によると、留学生の受け入れ人数を28%減らしています。デンマーク語が強制になったりという話も聞きました。やはり、デンマークの大学に来てもその後デンマーク国外で就職する学生が多いためですね。

今後これもどうなるのかは注目していきたいと思います。

全員学費無料&生活費支給を可能にしているデンマーク人の大学進学についての考え方

高校卒業してすぐに大学入学することが常識の日本で、全員対象に無償化したとしても、その効果を得られることはないと思います。
デンマークでこの制度が成り立つということは、その裏に文化や思想があるということです。だから制度だけを真似しても意味がないのだと思います。
ということで、この大学無償化の裏にあるデンマーク人の考え方を少し紹介できればと思います。

フォルケホイスコーレってご存知でしょうか?

私は今、フォルケホイスコーレという学校にいます。
ご存知ない方のために軽く説明すると、原則として17歳半以上なら誰でも入学できる試験や成績評価などが一切ない全寮制の学校です。

私の学校は、こんな感じの校舎&寮です。

大学進学前の「ギャップイヤー 」

大学の平均入学年齢の最小が高校卒業の1年後なのは、少なくても1年くらいは自分のやりたいことを考えるためにギャップイヤーを取るからです。
私がいるフォルケホイスコーレという学校は、主に大学入学前の20歳前後の学生が多い印象です。
ただその世代だけではなく、大学を途中で辞めた人や卒業後に仕事を決める間に来ている人もいます。みんな共通してこの後どう生きたいか?というのを見つめたくてきています。
そして、この後大学に進学する人もいれば旅に出る人もいたり、働き始める人もいます。

デンマークでは、
「自分がどうしてこれを学びたいのか?」
「どんな仕事につきたいのか?」
ということをしっかり考えてから、大学に進学します。

勉強が嫌いだったら大学に進学する必要もないし、自分がやりたいこと・得意なことでどう社会に貢献しようかと考えているように見えます。
これができるのは、日本と比べて職業に貴賎がない、どの職業でも幸せな暮らしが当たり前にできるとみんな思っているからだと思います。

「お金をもらえるならずっと大学生で良いじゃん」と思う人いるんじゃないの?って思いませんか?私は思いました。
これをデンマーク人の友達に聞いたところ、そう考えるってことは国民を「信頼」してないってことだねと言われました。「損得勘定ではなく、自分がどう生きたいかだよ」という名言も頂きました。


日本の大学無償化は選別主義で良いのか?

高等教育無償化の趣旨をもう一度引用します。
低所得者世帯の者であっても、社会で自立し、活躍することができる人材を育成する大学等に修学することができるよう、その経済的負担を軽減することにより、我が国における急速な少子化の進展への対処に寄与するため、真に支援が必要な低所得者世帯の者に対して、①授業料及び入学金の減免と②給付型奨学金の支給を合わせて措置する。

この大学無償化が、そもそも低所得者層を救済することが目的なら、それが達成されるから良いのでしょう。
だけど、これが急速な少子化の進展への対処に寄与するのか?という話になると、私は大きくは変わらないのではないかと思ってしまいます。
だって、中間層ですら子供を2人大学に進学させるの大変だし、だから1人にしておこうって思う訳じゃないですか。低所得者層のみが対象の無償化にどこまで意味があるのでしょうか。

それから、「社会で自立し、活躍することができる人材を育成する」機能をどこまで大学が持てているのだろうか?ということも考えてしまいます。適当に大学に進む18歳が多いままだと、デンマークと同じように全員無償化しても意味ないなと感じます。だからこそ、無償化の話関係なく、多くの人がますます大学進学をするようになっている今の時代だからこそ、今一度どうして大学に行くのか?と考える姿勢は学べると思いました。

日本の海外留学のための奨学金について

北欧に大学留学している友達と自分たちの留学費用についての話をしていたときのこと。
私もその友達も「トビタテ!留学JAPAN」という奨学金を利用しようか考えたけど、結局出来なかったという共通点があり、日本の奨学金の話と選別主義が繋がる内容だったので最後にその話をしたいと思います。

「トビタテ!留学JAPAN」とは

「トビタテ!留学JAPAN」は、文部科学省が展開する日本の若者の海外留学への気運を醸成する官民協働の留学促進キャンペーンで、2020年までに大学生・高校生の海外留学者数倍増を目指しています
ここ数年は毎年1000人程度に奨学金を支給しているようです。

私たちが「トビタテ!留学JAPAN」を利用できなかった理由

それは、ズバリ親の年収です。
親に平均より高い収入あるから、自分たちでどうにかしてくださいっていうことですよね。一応オープンコースというのがありますが、枠がすごく絞られていて競争率はすごく高いです。もともと留学を志向する大学生は高所得家庭出身が多いと思いますし。
(私が受けようと考えたコースだと全国で10人しか受からないみたいな感じでした)

生まれる場所によって可能性が変わる社会

トビタテ!を利用できなくて思ったこと

「生まれる場所によって可能性が変わる」
この話をするとき、基本は低所得層や親の教育意識が薄い家庭に生まれると、機会が少なく不利だという話だということは分かっています。

私は恵まれているということも重々分かっています。
だけど、だから、別にいいけど、給付型奨学金をもらっている大学生を見ると、「ずるい」と思ってしまいます
もちろん来れているから、いいんです。だけど、必要より多くもらってる大学生を見ると考えてしまいます。

私もその友達も、今まで生まれる家によって得られる機会が違うというこの社会のしくみをどちらかというといい方に享受してきたと思います。
だから、この感情は今まであまり感じてきて来なかった類のもので、そもそも私たちが慶應に入れて今海外に居られるのも親や周りの環境のおかげであって、だから今回トビタテや他の奨学金を利用できなかったのもしょうがないとも思います。

今の社会で親の年収が高い方が良い教育が受けられ、良い機会に恵まれやすいからこその、親の年収制限がある。だから、この制度が悪いという話をしたいわけではないのです。税100%の制度でもないですし。

ただ、選別主義のような制度を体験して、私が恵まれているとは認識しているけれど、それでも私は線引きをされた、親の年収で分断されたと感じました。高所得者層に税や制度の恩恵がなければ、税への抵抗感にも繋がるとも感じました。

まとめ:教育における普遍主義と選別主義


財政やお金にまつわる国の制度って、もちろん国民が民主主義で税を払ってお互い様を成り立たせるものでもあるけど、それと同時に国民へのメッセージにもなるのかなと思ったりします。

どの家に生まれるか?なんて自分で選べません。
だから、低所得層世帯に生まれても大学に行くことができる。それは絶対に必要だと思います。
でもそれと同時に、「低所得層だから」ではなく「社会の一員だから」という理由で無償で進学できるとしたらもっと素敵だなと、デンマークから思っています。
きっとこの感情は経済状況関係なく同じなのではないでしょうか。

この記事を書いた人
能條 桃子 
慶應義塾大学経済学部休学中。
大学では井手英策研究会に所属し、財政社会学を学んでいる。
関心テーマは、若者の政治参加、多世代交流、リカレント教育、女性の社会進出や都市化と家族・地域のカタチなど。
NO YOUTH NO JAPANという団体をやっています。

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