わたしが生きたい社会ってどんなだろう?
そのヒントは、北欧にあるかもしれない。

わたしたちが北欧で見たこと、感じたこと、そして、語りたいこと。
大学生たちが現地よりお届けします。

【エッセイ】民主主義を支えるのは一人一人の市民たち

留学生の友達と一緒に料理をし、キャンドルを置いたテーブルに夕食を用意してみんなでわいわい楽しく食事をする。 いわゆるHygeeな夜です。





 
こんな温かくて楽しい雰囲気の食事でも、政治の話になるんです。

BREXIT(イギリスのEU脱退)の学生や大学への影響や、ポピュリズム政党の台頭の影響で民主主義が後退していることへの懸念など、政治学を学んでいる身の私としては、みんなの議論が興味深くてたまりません。

彼女たちのすごいなと思うところは、自国のことだけじゃなく、ヨーロッパの隣国の情勢についてもある程度知っていること。ベルギー人がオーストリアやイタリア政府のことを話せたりする。


そんなある時、一緒に食事をしていた日本人の友達がみんなに聞きました。

「日本だったらこういう場で友達と政治の話することなんてほとんど無いけど、
どうしてみんなそんなに政治に興味あるの?」

ポーランド人の友達はこう答えました。
べつに特別政治に興味あるわけじゃないよ。でも、政治情勢をある程度知っておくのは市民としての責任だと思う。自分の生活とか、興味あることも、全部元をたどれば政治が絡むでしょ。」


市民としての責任ね、、!おっしゃる通り、、。
でも、今までそんなこと意識したことなかったかも。

市民一人一人の政治参加、責任感、当事者意識…。 

民主主義ってこういうものがあってこそ成り立つものなのかもしれない、と気づきました。


民主主義を考えなおす

日本では(少なくとも私は)、友達とはおろか、家族と政治の話をすることもほとんどありません。

ニュースを見ながらぼやいたり、選挙の直前になってちょっとだけ話すことはあっても、ひとりごとに返答するくらいのレベルで、実のある議論にはなりません。



政治と宗教の話は、日本の社会では、なぜかタブーとみなされがちです。
喧嘩をするから?場がシラケるから?気まずくなるから?

芸能人や著名人が政治的な発言をすれば「素人が知識もないくせに語るな」とバッシングを受ける。
ブログでこんなことを書く私のことも、良くなく思う人が少なからずいるのかもしれない。



でも、私はそんな社会ちょっとおかしいんじゃないかと思う。

確かに宗教は、個人の価値観が深く関わるんだろうと思うし、話したって分かり合えない部分はあるのかもしれない。
だけど、違う考え方だからって別に否定・肯定しなくたって、
「ふーん、そういう考え方もあるんだ」
って捉えることもできるんじゃないかと思う。
それが多様性を認めるってことなんじゃないのかな。
(私が無宗教だからそう思うだけかもしれないけど。)


でも、それと違って政治は、意見が食い違ってなんぼだと思う。
日本の社会に限定したって、いろんな立場、主義、価値観を持っている人がいて、全員が100%賛成して、支持する政策なんてきっと存在しない。

むしろ、国民全員が同じ方向を向いている(ように見える)状況の方が危ないんじゃないかとさえ思う。


アウトプットが大事なのは、政治に関する考えだってきっと同じはず。

何が正解で、何が間違っている、とかじゃないと思う。

他の人と議論するから一層深まる考えがあったり、考えなおすきっかけになったりするんじゃないかな。

これは、デンマークの大学教育を受けていて強く感じること。



多様な国民一人一人が主権者として政治に参加できるようにしたのが「民主主義」だったんじゃないの?

対立する意見、少数意見も聞き、尊重したうえで議論を重ねて、必要に応じて妥協もしながら、一つの着地点を目指すのが「民主主義」なんじゃないの?
(と書きながら、ちょっと嵐が思い浮かびました)


「自分と違う意見を受け入れられないから」っていう理由で政治の話をしないなら、
「素人は黙っとけ、専門家に任せろ」って言って政治の話を煙たがるなら、
日本の民主主義って大丈夫なの?と心配になる。

「民主主義」って言葉と存在だけに安心しきってしまわないで、ちゃんと中身が伴っているか絶えずみんなで確認したり、中身をもっと充実させようという取り組みが必要なのかもしれない。



かく言う私も、「日本の政治はどうなの?」と留学生の友達に聞かれて、たくさんのことを話せるわけではないです。

今まで口にすることがなかったから、そもそも何を話したらいいのか分からなかったり、ニュースでちらっと聞いたことがあっても、説明できるほど問題の内容を知らなかったり。自分がいかに何も知らないかを実感しました。


何か話せそうな内容があっても、「これってかなり主観的な見方かも」、と説明をためらうこともありました。

でも、誰だって完全に中立になんて話せないわけで、そんなことを考えたら何もしゃべれなくなる。私の話だってきっと、ある一人の日本人の意見として価値があるんだろう。



「何が問題になっていて、こういう議論があって、私はこう思っている」
って言えるようになりたいな、と思っています。

私も市民のうちのひとりだから。