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コペンハーゲンの中の異国・nørrebroに暮らして

みなさんがデンマークという言葉で想像するのは、おそらくコペンハーゲンのまちや文化のはずです。確かにコペンハーゲンは統一感のあるモダンな北欧を代表するまちと言っていいでしょう。
しかしコペンハーゲンの中には「異国」が存在します。
今回は私が住むまち、そしてコペンハーゲンの中でも最も深みのあるまちNørrebro(ノアブロ)について紹介したいと思います。


目次
・Nørrebroの特殊性を概観する
・Nørrebroの2つの顔
・Nørrebroはなぜ若者と移民まちなのか
・光と影ーこのまちに暮らして


Nørrebroの特殊性を概観する

Nørrebroは、コペンハーゲン中央駅の北に位置する商業の中心地 Nørreport(地図上ではIndre Byの中央)から見て、橋を渡って北西に位置する地域です。バス・電車・自転車のいずれでもNørreport駅から15分程度という中心地に隣接する立地となっています。


画像出展:District of Copenhagen (Wilipedia)https://en.wikipedia.org/wiki/Districts_of_Copenhagen


中心地Indre By、閑静な住宅地Østerbro、市外にあたるブルジョア地域Frederiksbergに囲まれており、Nørrebroの周辺地域は概してデンマーク的な閑静で洗練された地域と言えます。

それに対してNørrebroは、中心地に近接していながらも地価が安いため、学生や労働者、移民が多く居住しており、住民の国籍や階級の幅が広い地域となっています。3.82 ㎢に約7万人の人々が住んでおり、その半分は移民及びその子孫であるともいわれています。

もともと労働者が住む地域であった市中心部の南に位置するVesterbroが1970年代の再開発により中産階級地域となった現在では、コペンハーゲンにおける労働者や移民の居住地といえばNørrebroというのが、コペンハーゲンでの共通認識です。



Nørrebroの2つの顔

Nørrebroという単語はデンマークでポジティブな意味とネガティブな意味の両方を備えています。一つの地域の中に2つのエリアがあることと、その意味合いは対応しています。人、風景、有名なもの、様々なことが全く違うんです。

若者と流行が集まる地


まずIndre Byに近い地域は、ヴィンテージショップや古着屋、おしゃれなレストランやオーガニックカフェが立ち並ぶ、コペンハーゲンのトレンドをけん引するおしゃれなエリアです。
また、かの有名な童話作家H.C.アンデルセンや哲学者キェルケゴールの墓がある静かで広大な墓地Assistens Cemeteryもこのエリアに位置しています。
近年になって注目が高まっているこのエリアには、コペンハーゲンの流行に敏感な若者たちや、おしゃれを楽しむ人々、定番のものに飽きたハングリーな人々が集まり、表通りから1本通りを入ったところまで個性豊かなお店と人々に出会うことができます。

VisitCopenhagen(コペンハーゲンの公式観光サイト)や、日本のガイドブックで紹介されているいわゆる観光地としてのNørrebro像は、このイメージに沿ったものと言えるでしょう。
参考:VisitCopenhagen:Nørrebro
https://www.visitcopenhagen.com/copenhagen/multicultural-norrebro-0


移民が暮らす場

それに対して、Indre Byから離れNørrebro駅の方向に進むにつれ、洗練された雰囲気から雑然とした異国ー中東の空気が漂う地域になっていきます。お店はケバブ店がほかの地域よりも目立つようになり、アラビア語表記のあるお店や、野菜が路地に面して並べられたローカルスーパー、ハラール肉のお店などが並びます。
スーパーでは米や豆を豊富に扱っていたり、チェーン店のスーパーでは手に入らない野菜を売っていたり、じゃがいも5kg売りなんていうものも見かけます。完全にデンマークのチェーン店とは違い世界です。物の値段は中心地よりも明らかに安く、ローカルな経済が成り立っている様子。
駅前では不定期に路面で(勝手に)フリーマーケットが開催され、衣服や日用品が売買され、主に黒人系の住民が参加しています。

ここにはトルコやイランなど中東からの移民が数十年間にわたって流入し、その子供たちも多く住む地域であるため、このような発展を遂げています。歩いている人々も、黒人系の人々やスカーフを身に付けた女性を多く見かけます。ごくごく稀にニカブ(頭から足先まで黒い衣服で覆う衣装)を身に付けた女性を見ることもあります。
(このニカブの着用は2018年から法律で禁止されています。このことについてはまたいずれ)

デンマークの代表的な難民支援のハウスであるTrampoline Houseもこの地域に位置しています。
さらに、地価が安いため学生寮もこの地域に多くあり、私が住む寮もその一つです。

異文化やエスニック、multiculturalという言葉でNørrebroが表現されるときはこのエリアを示しています。また残念ですが、移民と結びつけられやすいギャングの抗争が起こるエリアでもあり、治安が悪いというイメージを持たれるのもこのエリアです。

このような2つの側面がグラデーションのように一つの大通り(Nørrebrogade)沿いにみられるのがNørrebroのまちです。完全に分離している2地域というよりは、特徴の濃淡が徐々に逆転していくという風に捉えていただければと思います。


Nørrebroの歴史と人々

Nørrebroを理解するためには、その歴史を知ることが重要です。
Nørrebroはかつて低賃金労働者が集住する地域でした。100年以上前には、農業労働者の移民が集まっていたのだそう。私が住む通りにはデンマーク語で「大工」を意味する言葉が入っており、建設や工業労働者にもゆかりがあるまちです。
その中で1970年代に政府がスラムを一掃すると同時に、公営住宅の建設を進め、安価で良質な郊外居住地域を確立します。それによって、若者や学生たちが新たな機会を求めて居住を始めました。また当時ゲストワーカーや家族統合によって労働者やその家族の移民が流入していたデンマークでは、移民がこのNørrebroに集まるようになり、それに伴い彼らにあった店や施設も発展しました。現在ではムスリムにルーツのある移民が、地域に住む移民のマジョリティとなっています。
そのほかにも、年金で暮らす人々や産業予備軍(Industrial reserve army) に属する人々が多いこと、郊外には左派を支持する中産階級が集中していることなどが、地域的な特性として歴史的に築かれてきました。

一方で、ノアブロは昔から陶器やアンティークを扱うお店が並ぶ地域でもありました。個人店のあたたかみのあるお店が並ぶ地域が注目されて、その周辺におしゃれなお店が出店するようになり、今の流行の先端をいくファッショナブルな地域ができていきました。


光と影ーこのまちに暮らして

実際に暮らしてみると、人々が言うほど治安が悪いまちだとは感じません。身の危険を感じることはそれほどなく、スリなどの軽犯罪なら市街地でも(むしろ市街地のほうが)起こりやすいのでは。
様々な文化的背景を持つ人々が共存する日々の光景は、私には活気あるまちの証拠にも見えます。際立った事件やニュースが地域のイメージを形成するなかで、ネガティブな印象を植え付けられてきたというだけです。

この感覚はまた、私がこの国において外国人でありマイノリティであるということと関連があるのかもしれません。マジョリティであるデンマーク人にとって「外国人」が支配する地域、かつ色々な人が問題化しようとするイスラム文化圏の人が相対的に多い地域というのは、ネガティブにカテゴリ付けするのに十分でしょう。しかしデンマーク人にとって「外国人」であるのは日本人である私だって同じ。Nørrebroを「移民が多い」とネガティブなニュアンスで言われると他人事とは思えません。

むしろムスリムとデンマーク人という議論の二項対立が存在するこの国では、私はどちらにも所属していません。日本人でもムスリムでもない私は、いったいどこに自分を位置づければいいんでしょうか。

マイノリティ「として」暮らすこと、これは普通の日本人留学生がする経験し、何かしら感じるものがあるところでしょう。
しかし、私がマイノリティ「の中で」暮らすということに、何かしら大きな意味があるのではと思うこの頃です。