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【インタビュー】山本勇輝さんに聞くフォルケホイスコーレを日本に創るとは?

今回「わたしたちの北欧がたり。」がインタビューしたのは、デンマークのフォルケホイスコーレで先生として勤務する山本勇輝さんです。

Nordfyns Hojskole(ノーフュンスホイスコーレ)で先生として働く傍ら、デンマークのフォルケホイスコーレを紹介する団体IFASの共同代表を務めていたりと、デンマークと日本を繋ぐ活動を積極的に行っている山本さん。今後は日本にフォルケホイスコーレを創る計画を立てています。

日本人にフォルケホイスコーレを広めたいと行っている活動の裏で、日本人留学生が増えてすぎているという現実も。フォルケホイスコーレの先生という立場から、デンマークと日本、そしてフォルケホイスコーレをどのように捉えているのか。日本にフォルケホイスコーレを創りたいという真意についてもお話を伺ってきました。


(聞き手:黒住 奈生、能條 桃子、瀧澤 千花、高槻 祐圭/インタビュー:2019年5月19日/編集:瀧澤千花)

フォルケホイスコーレについての記事はこちら



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山本勇輝 yuki yamamoto
Nordfyns Hojskole職員/IFAS共同代表(https://www.ifas-japan.com/
1986年生まれ。26歳でフォルケへ留学。在学中から仲間と一般社団法人「IFAS」を立ち上げ、フォルケの情報を発信。2016年から現在のフォルケで教員として勤務し、日本人学生の受け入れも担当している。
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デンマークと日本を繋ぐということ

−これまでの「デンマークと日本を繋ぐ」という活動にはどのような思いがありましたか?

以前フォルケホイスコーレ(以下フォルケ)に通っていたときに、自分の時間が増え、いろいろ考えさせられ、人として自分について学んだことがきっかけで、こんな時間が日本にあったらいいなと思うようになったんです。IFASを作ったのはデンマークに住んで1年半程経ってからで、デンマークのフォルケを日本人に知ってほしいという思いからでした。今は問い合わせの量も増え、日本人がフォルケだけではなくてデンマークに注目し始めているということを実感しています。日本人がデンマークに興味を持ってきているのは嬉しいですね。
どちらも完璧な国ではないからこそ、日本人がデンマークに行き、デンマーク人が日本に行き…というように、お互いが学び合える環境があるということが大切なことだと感じています。

−現在、フォルケに来る日本人が増えてきていると思うのですが。

日本人がフォルケというものを欲しているという状況はあるのかもしれないですね。教育だったり、生き方だったり、人生の質みたいなものを要求している人が増えてきたのかなと思います。デンマークは約150年前からこういう国創りを目指してやってきていて、一方で日本は経済大国を目指してやってきて、その代償がきているのかな、とも思います。

−日本人学生が増えていることに対してはどう考えていますか?

いや〜それは私たちが宣伝しすぎたのかもしれないですね(笑)増えてほしいと思ってやってきてたけど…(笑)一つの国から10人位いるとグループが作られてしまい、全体的なバランスが崩れてしまう感じはしますよね。英語があまりできない状態だったり、「デンマークに来たら幸せになれる」という期待だったり、そういうミスマッチというところはIFASが一番恐れていたことではあります。でも、この課題は、起きるべくして起きたというか…。当然それは起きる問題で、ある意味そこを意識しすぎてはじめから「IFASをやらない」ということをしなくてよかったなとは思います。

−日本人がフォルケに来ることで、どういうものを持って帰ることが大事ですか?

持って帰るものは人それぞれでいいと思いますね。専門知識を持って帰る人もいれば、コミュニケーション感覚や人との関係性のあり方みたいなものを持って帰る人もいて、それは100人いたら100通りのフォルケがあっていいと思います。

椅子はすべて生徒の手作り。

「日本にフォルケを創る」とは?

−山本さんは以前からフォルケを日本に創りたいとおっしゃっていますが、デンマークのフォルケそのものを日本で実現するのは難しいですよね。どのような部分を日本のフォルケで実現したいと考えていますか?

デンマークのフォルケの良さは、例えば先生の生徒の関係や、学費がそこまで高くないところ、幅広く学べること、共同生活など、そういう一般的に言われていることはもちろん大切になります。
一方で日本でやる上で大切なことは、「日本の学校であるということ」ということです。外からもってきたものではなく、そこで必要とされるものでないと意味はないと思います。だから地元の人との関係は長年かけて作っていくことが必要だと思っています。その点においては、地元の人にも実際にデンマークに行ってもらい、感覚としてフォルケを知ってもらうというのも必要になってくるでしょう。

−フォルケは、デンマークの民主主義や「意見を言う」という文化がベースに成り立っていると思うのですが…?

確かにデンマークでは自由に発言できるというのは特徴の一つですね。彼らの場合、自分のやりたいことは主張しないといけない、待っててはいけないんですよね。どんなバカな質問でも黙っているよりは言ったほうがいいという雰囲気はあります。


サスティナビリティの授業では、実際に栽培もするそうです。
だから日本人はそういう面では難しいところがありますよね。我々のいいところは言葉を使わなくても空気を読むことができるところ。意見を言う生き方が生きにくいということもあるかもしれません。だから日本でフォルケをやるとなると、生徒をしっかり支えてあげながらやっていくというのはかなり重要になると思います。

−デンマークでフォルケは民主主義の学校と位置付けられています「民主主義」は日本のフォルケでもキーポイントになりますか?

それはキーポイントになるでしょうね。ただ、デンマーク的な民主主義が日本で適応するかわからないのにそれをやる必要があるのか、というところは実際にやってみないとわからないところではありますよね。まだわからないです。
そもそも日本が西洋から取り入れて民主主義になったところからおかしくなってるんですよね。外のもの、「異物」を理解できないまま導入してしまったからギャップが生まれてしまっている。はたしてそれが本当に必要なのか、我々は何を必要としているのか?を考えるべきですよね。もう民主主義を取り入れちゃったから、やっていくしかない気がしますけどね。


−フォルケを日本で創るにあたってどういう部分が壁になると感じていますか?

デンマークのフォルケを理解するということは日本人にとって難しいと思います。これはいくら僕が講演しても同じで。実際にフォルケを肌で理解してもらうことが大事になります。だから、生徒への「伝え方」というのは壁になりますね。誰が先生になるのかというのは課題です。先生になる人には実際にフォルケを体験してもらいたいですね。先生として矢印の向いている先が同じだっていうのを確実にしないといけないとは思います。

矢印の方向はどこに向かうのでしょうか?

それは、「人として成長できる」ということですね。共同生活を通して、ぶち当たるものはたくさんあって、それは授業だけではなく食事であったり、掃除であったり…。「学びというのは常にそこら中にある」という環境を作ること、そしてその学びがあるということを知ることが大切ですね。

−確かに、フォルケにいると日常の出来事に対して、例えば『なぜ私はこのことに対してイライラするのだろう?』って考えることがあります。

そうそう。「ぶち当たったときに人間は成長する」というのは確かにあって、壁にぶち当たったときに「なんで私はこう思うんだろう?」「その背景には何があるんだろう?」と考える。それが人間の成長に重要だと思います。
ちなみに、デンマーク語で「Dannelse」という言葉があるんですけど、日本語で「人間形成」や「人間的な成長」という意味があります。そういうところがフォルケとして大事にされることかなと思います。それは日本でも大事ですね。


様々な国の本が。

−今はフォルケを創る道のりのどのフェーズにいますか?

フォルケの先生を自分でやることで、方針を模索しているところです。デンマークのフォルケで働く先生としての経験ができることは強いですね。日々学生から学ぶことは多く、僕も毎日勉強みたいなものです。日本にいるよりも、新しく出会う日本人の人数は確実にデンマークにいる今のほうが多いので、その点は非常にいいです。さっき「伝え方」が壁になる、という話をしましたけど、今後、フォルケの先生の育成をノーフュンスでやっていく予定です。

−どういうところを学生から学んでいますか?

「みんな違う」ということですかね。人懐っこい子もいれば、なかなか心を開かない子もいるし、本当にいろいろですね。彼らの違いに気付かされるというのが面白いです。ここのいいところは、年齢が違っても先生と生徒、先輩と後輩という関係になるのではなく、生徒と自分も対等な目線で話せるというところです。生徒が僕のことをからかいだしたらよし!と思いますね。先生である前に人間であるということは多くのデンマーク人が大事にするところです。


無関心にはなれるけど、無関係にはなれない

−フォルケを通して、どのような日本の未来を描いていますか?

それは僕が決めることじゃなくてみんなで決めることだと思います。
こうなったらいいなと思うのはいっぱいありすぎますけど、フォルケというのは一つの手段なのかな。日本が少しでも幸せになる、世界が平和になるというのを考えたとき、フォルケは一つのヒントになると信じて今までやってきてはいます。

フォルケができることで、自分と違う人、そういう人もいるんだ、と他人のことを理解できるそういうきっかけになってほしいなと思いますね。いろんな文化が混じり合うことでできる科学的な反応にすごく期待しています。例えば、人がいじめはダメだといっても完全にはなくならない。人にダメだと言われるんじゃなくて、実際にいじめられたら人はどういう気持ちになるんだろうとか、なぜいじめはダメなんだろうかとか、そういうところを考えないといけないというか。

−「自分と他人は違う」って、頭ではわかっていても日本ではちゃんと理解できていなかったなと感じています。

全体を考える、場を考えるというところは日本のいいところですよね。ただ、それがいきすぎて「自分」を忘れてしまい、空っぽになってしまうというのはあるかもしれないですね。自分を大切に、自分の幸せってなんだろうとか考えることが大事だと思います。デンマークでは自分で物事を考えること、「自分」の意見を発することはとても大切です。

−「自分」を理解できていないと、他人のことは理解できないですよね。

だから、当たり前の概念を打ち壊すことができるのもフォルケかなと思いますね。日本人がよくいう「普通」って結局なんなんだろうとか。自分を知ることで他人も知ることになる。「無関心にはなれるけど、無関係にはなれない」という言葉は、千葉県松戸市議会員のDELIさんからきているのですが、いくら無関心でいたとしても、その社会で生きていかなければならないから、無関係ではいられない。それだったら社会に対しても何かやったほうがいいかもねってなるといいなと思っています。



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今回山本勇輝さんにインタビューをし、
・デンマークと日本を繋いできたこれまで
・どのように日本でフォルケを創るのか
・フォルケを通じて描く社会
をお聞きしました。システムや考え方の魅力が語られるフォルケホイスコーレ。しかしそれを支える影には、生徒にそれぞれのフォルケホイスコーレの価値を考えさせる先生の姿がありました。

インタビューを受けて、わたしたち4人が語った座談会の様子はこちらの記事から。