わたしが生きたい社会ってどんなだろう?
そのヒントは、北欧にあるかもしれない。

わたしたちが北欧で見たこと、感じたこと、そして、語りたいこと。
大学生たちが現地よりお届けします。

環境先進国・デンマークのフェスティバル文化に失望した話



この写真をみてどう思いますか?
今日は、環境先進国デンマークの別の一面の話をしようと思います。

5月29日から6月1日まで、私の学校の近くでJelling Music Festivalというデンマークで3番目に大きい音楽フェスが行われていました。私たちは、フォルケホイスコーレのイベントラボという授業の一環で、このフェスティバルに出展していました。

リラックスできる空間を作ったり、昆虫入りのヴィーガンクッキーを配ったりもしました。これ自体はすごく楽しかったです。

クッキーの展示の様子
ノーマルクッキーとヴィーガン用の昆虫入りクッキーを見分けられますか?

しかし、このフェスティバルが終わった翌日の日曜日、会場がゴミ山に一転していました。

ゴミ箱に捨てられていないおびただしい数の空き缶。使い終わったまま放置されているまだ使えるようなテントや椅子、寝袋。飲み切れなかったと思われるたくさんのお酒の缶。

私のフォルケホイスコーレでは、毎日のようにサステナビリティ(持続可能性)という言葉を聞きます。日本にいたときはサステナビリティをそこまで意識しなかったのに、この学校に来てからすごく重要なものだと認識するようになりました。
この学校が特に大切な要素として考えているというのもあると思いますが、デンマーク全体をみても、気候正義を重要視し、若者によるデモも頻繁に行われ、選挙の争点としても驚くほど大きく取り上げられていたことから、サステナビリティは重要視されていると思っていました。

そんなデンマークで、フェスティバルにテントや椅子、寝袋などを毎回一式揃えて買って、終わったらそのまま放置するということが文化としてなりつつあるそうです。いつも散々口にしている環境への配慮はどこへいったのか?と感じ、とてもショックでした。

私たちのフォルケホイスコーレでは生徒総動員でこのゴミ山からリサイクルできるもの、寄付できるものを集めて仕分けするという活動をフェスティバル運営側と協力して、毎年しています。(HPにデンマーク語で私たちのフォルケホイスコーレがゴミを金に換えたと書いてあります。)

HPに今年の活動が公開されていました。

ここでの経験があまりに強烈なものでした。
一緒に取り組んだデンマーク人の友達たちもみんなショックを受けているものの、テントや寝袋を置いていくことに関しては一種の悪きフェスティバル文化だということも言っていました。

同じフォルケホイスコーレに通う、日本の高校を卒業してすぐギャップイヤーで来ている牧野なつきちゃんがFBで今回の活動について、文章を載せていました。すごく共感したのでここに引用させてもらいます。
過剰消費社会という名の地獄を初めて自らの目で見ました。テントを開けるのが最早恐怖でした。未開封の飲み物や食べ物、寝袋・スリーピングマット、衣類、キャンプ用の椅子等信じられない数の再利用可能なものが置き去りにされ、それ以前にテントすら持って帰らないってどういうことなのだろうと疑問しか浮かんできません。
国全体で見ると世界最前線に立って環境問題と向き合っているし、学校でもsustainabilityって言葉は耳にタコができるくらい聞いてるからこそ物凄く裏切られた気分になりました。この個人の無責任さが露わになった酷い光景は、普段分散されて可視化されていないだけなのだと思い知らされました。

"ものを大切に使う"
それだけのこと。このゴミでどれだけ私たちの未来を汚染していくのか、本当の危機感を覚えました。全く人ごとじゃないよこれ。いやこりゃあ異常気候も温暖化も引き起こすわって初めて思ったよね。怖いし悲しい。そして切り離して考えがちな世界の裏側ではモノが大不足していることも忘れてはいけないと再確認しました。欲に負けずにものを買う前に一度考える。自分の住む社会をいちいち気にしていきたいです。 
あたり一面がずっとこんな感じです。こんなに放置しますか?

缶もおびただしい数が捨てられており、それらを分別しました。
みんなが置いて帰ったお酒の缶。最終的に1万本以上はあったと思います。
仕分けをこんな感じでやりました。
デンマークは環境問題において、企業や政策主体の取り組みはすごく先進的だと感じています。

一方、日本は、デンマークに来てから後進国であると感じています。
例えば、政府がいまだに石炭火力発電を輸出していること。事故があり、汚染物の処理方法が分かっていないのにも関わらず原子力発電を使い続けていること。フードロス問題においては、未だに3分の1ルール(賞味期限を逆算した出荷に関するとても厳しいルール)が適用されて大量の食料廃棄をしていること。プラスチックのゴミを海外輸出していることなど…。
広告で大量消費を煽る企業(資本主義だからそうでないとやっていけない)や持続可能エネルギーになかなか舵を切れない政策などが日本を後進国にしている気がします。

でも、個人に根差す生活の中での環境を配慮した行動という面では、デンマークでは、ヴィーガンになるなどすごく意識的に取り組んでいる人とそうでない人の間にギャップがあるのかなと思います。
デモなどに多くの学生が参加して制度や政策に訴えかける活動は盛んであると感じる一方で、個人に根差す生活の中での環境を配慮した行動という面では、今回のフェスティバルでは、5万人が集まる集団で半分以上の人が何かしら物を放置して帰っているように見えました。缶のポイ捨てで言えばほぼ全員ですね。
フェスティバルのテンションは、フェスティバルのテンションで、だからここで物を放置した方々が全く環境に配慮していない人なのかというとそうではないと思います。
それでも、数万円する未だ使えるテントを、毎年買うからとその場において帰るという行動が普通である(全員ではないが多くの人がこのような行動をしていて驚きもしない)ことに、ショックを受けましたし、日本では起き得ないことだと感じました。

日本では、みんなリサイクルなど当たり前にするし、分別もきちんとルールを守る、ゴミ箱にものを捨てる、レジ袋が無料でもエコバッグを持参する、水を出しっぱなしにしない、ご飯を残さない、それなりに物を大切にするなど、小さな行動を積み重ねている気がします。気候正義を大々的に掲げている訳ではないけれど、ひとりひとりの行動としてすごく素敵だと思います。ルールを守ることや「もったいない」という精神は、日本人の得意技なのかな?と思いました。ふと、日本の良さを気づくきっかけにもなりました。

デンマークに憧れて来た私は、常にデンマークをキラキラしたものとして捉えているからこその、この落胆なのかもしれません。


日本とデンマーク、どちらが良い悪いの話でもないのかもしれません。
どの国でも完璧な姿はないということ。日本はデンマークに学べるところがあるし、逆にデンマークも日本に学べるところがある。そんな風に感じた出来事でもありました。



この記事を書いた人
能條 桃子 
慶應義塾大学経済学部休学中。
大学では井手英策研究会に所属し、財政社会学を学んでいる。
関心テーマは、若者の政治参加、多世代交流、リカレント教育、女性の社会進出や都市化と家族・地域のカタチなど。
NO YOUTH NO JAPANという団体をやっています。

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