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わたしたちが北欧で見たこと、感じたこと、そして、語りたいこと。
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空き缶リサイクルから感じたデンマーク社会の2つの顔

先日、こんな記事をももが書きました。『環境先進国・デンマークのフェスティバル文化に失望した話』
内容は、環境先進国と言われながらも、実態は…というデンマークのフェスティバル文化について。私もデンマークで生活を始めてから、環境に対する意識の高さに驚いてきました。気候変動に対するデモに行く、サステナビリティを意識した生活を送る、ビーガンになるなど…。一方で、パーティーの次の日のゴミの散らかり具合、ゴミの分別のしなさにも驚き、環境に対してデンマーク社会の別の一面を感じてきました。そこで今回は、「リサイクル」という観点から見えた、また違うデンマーク社会の二面性について感じたことを書きたいと思います。

デンマークの空き缶リサイクル事情

こちら普通のビールです。
裏を見ると、「pant A」と記載されているマークが目に入ります。デンマークで売られている缶・ビン・ペットボトルには、「Pant A」「Pant B」「Pant C」というマークがあります。これらのマークが付いた缶・ビン・ペットボトルは、買う際に容器代としてデポジットが取られます。このマークが付いているものはそのデポジットシステムにより、リサイクルの機械に通すとお金が返ってくるという仕組みです。「Pant A」は1kr(約17円)、「Pant B」は1.5kr(約24円)、「Pant C」は3kr(約49円)です。

スーパーに設置されているこの機械に空き缶・空き瓶・ペットボトルを入れます。

この日は52kr(=約850円)ゲットしました。
マークに応じてお金が返ってくるという仕組みです。金銭的なメリットによって、リサイクルを促そうという素敵な試みだなと思います。

デンマーク最大のストリートフェスティバルで見た光景

こちらは、先日コペンハーゲンで催されたデンマーク最大のストリートミュージックフェスティバル、ディストーションの様子です。


いつになく賑わっているストリート
一方で地面を見ると…
https://twitter.com/oguogu_mogumoguより
缶やビン、その他のゴミが散乱しています。
そして、フェスティバルを楽しみにやってきた若者たちとは違った風貌の人々がその散乱した空き缶を拾っている様子を見かけます。そうです。この空き缶が、お金になるからなのです。
この日のフェスティバル自体は無料だったため、誰でも参加できました。コペンハーゲンの一部の街が歩行者天国となり、人々はお酒を持ち込み、友だちと談笑し、音楽に合わせて踊り、お酒を飲みまくります。コペンハーゲン中の若者が集っているといっても過言ではないくらいの人が集まり、日本でいう夏の花火大会、渋谷のハロウィンといったところでしょうか。

そして、フェスティバルを楽しむ人々と対象的に、空き缶を探し回る人々。普段からコペンハーゲンではこのように空き缶を目当てにゴミ箱を覗いている人をよく見かけます。しかし、このディストーションの日はそれが顕著で、私はとてもショックを受けました。

私がショックを受けたのは以下の2点です。
・デンマークのお酒文化とゴミ文化
・デンマークの空き缶リサイクルと移民の文化

お酒とゴミ

ディストーションを楽しむ若者は、自分の飲んだ空き缶をすぐに捨てます。それも地面に。酔っ払っているからでしょうか、お構いなしです。地面一面に空き缶、空きビン、食べかすが散らばり、踏み潰され、割れたビンの破片もそのまま。

空き缶を拾う方々がいるにもかかわらず、ゴミ箱があるにもかかわらず、そこらへんに空き缶を捨てる人々の多いこと。渋谷のハロウィン並の人だかりの中で地面に捨てられた缶はすぐ踏み潰され、ぺしゃんこになります。

缶やビンは割れたり潰されたりしていると機械によってマークが識別されず、デポジットができなくなり、価値がなくなります。そのため誰にも拾われず、潰れた空き缶はそのまま地面に残っているのです。

この、平気でポイ捨てするデンマーク人の姿と、環境問題や気候変動について叫んでいるデンマーク人の姿との間にギャップを感じました。私はつい先日コペンハーゲンにて行われた気候変動ストライキに参加し、デンマークの若者の環境意識の高さに感動していたところだったのでショックが大きかったです。

デンマークのお酒文化は特異だと思います。さらに、デンマークの環境に対する考え方の変化は最近の話だと聞きました。だから未だ、分別や掃除についての意識が低いのかもしれません。これに関しては、是非ももの記事を読んでみてください。

空き缶リサイクルと移民

次に、この空き缶リサイクルと移民について。

空き缶を拾う人々、その数は数人ではありません。数歩進むごとに、空き缶を探す人々に出会います。この空き缶を拾う人たちの多くは非合法移住者と言われています。多くの非合法移住者は、捨てられた空き缶を拾い、その中からリサイクルできる空き缶を選び集めて換金することで生計を立てているそうです。道端に座り込んで缶の袋を広げている人もたくさんいました。1缶あたり1kr(約17円)がデポジットとして返ってきます。5缶集めるだけで、100円近く手に入れることができます。

ディストーションを楽しむ若者たちの中には、自分が飲んだ空き缶を集めている人たちに直接渡す、その人たちの”ゴミ箱”に直接入れる人たちもいました。

1缶を捨てること、つまり20円を手放すことくらい、生活に余裕のある彼らにとっては問題ないのでしょう。そもそも、その20円はすでに飲み物と一緒に支払ってしまっていて、スーパーに持って行かないと返ってこないのですから。

だったら、必要としている人に、現金という生々しいものではなく「缶」で少しの気持ちを表すということもあるかもしれません。

「ただのゴミ箱にいれるくらいなら、その人々の”ゴミ箱”に入れよう。」

空き缶を渡すということは、彼らにとっての一種の寄付行為なのかもしれません。

あるいは、こういった空き缶収集者たちが、デンマークのゴミ文化の解決に一躍買ってくれる存在かもしれません。人件費を払わなくても空き缶を拾ってくれるし、空き缶がその人たちの手に渡れば、彼らの生活は少し潤います。まさに一石二鳥、というところでしょうか。

環境という観点から見えたデンマークのゴミ文化
そして、リサイクルという観点から見えたデンマークの移民文化

先日友だちが空き缶を地面にポイ捨てしているのを目撃しました。私は思わず声をかけたのですが、その返答は、「誰かが拾うよ。これはお金になるから。」というものでした。これがシステムになっていると、誰も気にしないのかもしれません。デンマークはシステムづくりが上手だなと思っていましたが、これもまた、その側面が現れてるのでしょうか。その文化が自然と身についていれば、不思議にも思わないのかもしれない。それでも外者の私は、デンマーク社会の2面性についてとても衝撃を受けました。

よく考えてみたら、デンマークで気候変動に対するデモに行っていた自分のまわりのフォルケの友だちのほとんどは、この日フェスティバルに行かずに森でキャンプをしていたし、パーティーでいつもどんちゃん騒ぎをしている人たちではありませんでした。

それでもその人たちは、この文化について「嫌だよね」とは言うけれど、否定はしません。ここにデンマークを感じます。人は必ずしも完璧にはいられなくて、それをとても許してくれるのがデンマークだと思います。「口で言うなら、行動も伴ってよ。」と思っていましたが、その思考が「口で言う」ことのハードルをとてつもなく上げてしまっていたんだなと気づきました。そういった意味で、デンマークでは様々なハードルが低いのかもしれません。私にとってはハードルが高い「デモに行く」という行為も、デンマーク人は「coolだから」という理由で気軽に行います。だから難しい問題についてとっつきやすい。
だからこそ、時々垣間見える矛盾した行動に「ん?」と思ってしまう側面もある。「口に出すことのハードルの低さ」はプラスに働くときもあれば、もちろんマイナスに働くときもあるのかな、と。

「正しい」と思うことの中で、「まずは自分にできることは何か」を考え、実行することが重要で、すぐに全部を「正しく」変える必要はないんだよねっていうところでしょうか。

もちろん、「これがデンマークだ」と断定することはできません。

でも私は、デンマークのこの二面性を目撃して、心になにかもやもやしたものが残りました。そして、そのもやもやの正体について考えてみました。

夜通し続けられたディストーション。この残りのゴミは清掃会社・ボランティアの人々が綺麗にしたといいます。不思議な気持ちになった一日でした。