わたしが生きたい社会ってどんなだろう?
そのヒントは、北欧にあるかもしれない。

わたしたちが北欧で見たこと、感じたこと、そして、語りたいこと。
大学生たちが現地よりお届けします。

フォルケ留学、その理由 発達障害と鬱を乗り越えて


初めまして、なおと申します。
22歳、手続き上は北海道大学の建築コースを休学中なのですが、中退を決めています。

今はデンマークのNordfyns Højskole(ノーフュンスホイスコーレ)にて、自分と世界を見つめ直す時間を送っています。

写真1:山本勇輝(左端)さんと語り合う僕たち



フォルケホイスコーレでの生活は本当に充実しています。
授業で社会問題や環境問題を学ぶだけでなく、余りある自由時間を使って寝食を共にする友人と語り合い、それを通して自分自身のことをより深く理解する、そんな毎日です。

「わたしたちの北欧がたり。」に綴りたいことはいくつかあるのですが、まずは生き辛さを抱えながら日本で生きる人たちに伝えたいことがあり、自分のことを書くことにしました。


ADHD

タイトルに書いた通り、僕は発達障害を持っています。
具体的にはADHD(注意欠如多動性障害)。
自閉症スペクトラムも診断が降りる程度には持っています。
とは言っても目に見えて注意力がないわけではないですし、極端に落ち着きがないわけでも人と関わるのが苦手なわけでもありません。
薬の助けを借りながらですが、表面上は普通に過ごせています。
大学に入学した頃までは診断も薬の服用もなく、自分の障害にもほとんど気付いていなかったくらいです。


ただ、2年前に鬱病を患った時、自分は「普通」とは違うんだと思い知らされることになりました。


僕の話

小学校、中学校、高校と、ずっといじめを受けて過ごしてきました。
きっと「普通」から少しズレていることが鼻に付く、ムカつく、気持ち悪い、そんな理由からでしょう。


大学に入ってからは別の苦労を経験しました。
成績を取らなければ希望する農学部に行けないのに、睡眠障害のせいで朝は起きられず、授業は寝てばかり。
教科書を開いてみても、焦燥感に駆られるだけでまるで手につかない。
まるでブレーキとアクセルを同時に踏み込んでいるような感覚で、頑張ろうとしても頑張れないのです。
口だけは達者なのに中身が伴わない人間を揶揄する「意識高い系」というカテゴリーにはめられ、見下されているんじゃないか、そんな恐怖も感じていました。


そうして精神の安定を欠いていた中、追い討ちをかけたのは「発達障害の子どもがいる家」という設計テーマを、なんの因果かくじで引いてしまったことです。


じっとしていられない、宿題ができない、クラスの邪魔者扱いされる、そんな自分の幼少期。
興味の方向が偏っている、忘れ物が多い、自分を曲げられない。
自分のことを言われているような感覚に陥りました。


「普通」にあてはまらない人がいること、そして配慮を必要としていることを周りは理解してくれない。
それどころか「人と同じでないお前が悪い」という視線が突き刺さります。


そうか、自分は障害者だったんだ。


それから鬱病を発症し、半年休んでから何とか大学を続けようとしたものの、結局うまくいきませんでした。

生きるのが苦しいのは、あなたが悪いからじゃない

さて、ここからが本題です。
人間にはそれぞれ生まれ持った個性があります。
体の大きさや肌の色が違うように、脳の癖や心の形も違うのです。
考えたら当たり前のことですよね。
でも、日本という国に生まれた人の多くは「普通」に生きること、「普通」に考えることがいいことだと思ってしまっているのだと思います。
そうして自分に向かない道を歩み、「普通」にできない自分を責め、「普通」の精神状態を失えばさらに自分を嫌悪して…
少なくとも僕はそうでした。


でも、それは日本の社会の中で生きているから感じてしまう重圧なんじゃないか、世界のどこかにはそんなステレオタイプがない国があるんじゃないか、自分と違う他者を受け入れられる人々がいるんじゃないか。
そんな国でなら、僕もちゃんと生きられるはず。


そして見つけたのが、幸せの国々、北欧でした。


北欧、そしてデンマーク

幸福度ランキングでは毎年北欧諸国がトップの座を争っているのは周知の事実です。
男女間の権利格差の是正、高齢者福祉の充実、無償かつ選択肢の幅が広い教育、性的マイノリティへの偏見がないことなどが平等性を確保し、加えて人生の選択の自由度や社会の寛容さが幸福度を押し上げています。


幸福度が高いということは、言い換えれば社会的な要因で不幸を感じる人が少ないということだと思います。
ならば障害を持った人間にとっても生き辛さが少ないのではないかと推論を立てた僕は、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンの3ヶ国を周遊する旅に出ます。


そして訪れた北欧、特にデンマークでの滞在は素晴らしい体験でした。
民泊のホストやたまたま覗いたお店の店員、道を尋ねた一般の市民に至るまで皆一様に気さくでにこやかで、初めて訪れる異国での一人旅にも心の安らぎを感じさせてくれました。
そして何よりデンマークには万人のための全寮制の学校、フォルケホイスコーレがある。
よし、この国で生きてみよう、心は決まりました。


幸せに生きるということ

ビザ無し2ヶ月のワーキングホリデーも含め、今まで計8ヶ月をデンマークで過ごしてきました。
今感じているのは、日本の外に生きる場所を求めて飛び出したことは100%正しかったということです。
確かにデンマークも完璧ではありません。
嫌な人にも出会いますし、人種差別主義者が政治の表舞台に出てくるようになったり、環境問題について意識が高いのに行動が伴っていなかったり、手放しで賞賛されるべき社会だとは思いません。
でも、苦しい気持ちを無視せず、必ず寄り添ってくれる。
不得意なことを無理強いされない。
皆それぞれ違って当たり前、人格も意見も尊重される。
自分の意思で人生を選び、幸せに生きることを第一に考える。
デンマークという国ではそれが当たり前なのだと感じます。
そしてこれこそまさに、僕が求めていた世界でした。


そんな環境で過ごしているうちに、肩の力を抜いて、それぞれのペースで、生きたいように生きていいのだと心から思えるようになりました。
高い学歴を身につけ、高収入の職に就かなければと思っていましたが、それも変わりました。
興味と得意が一致する趣味のコーヒーの世界に生きてもいいかもしれないと、夢を前向きに考えられるようになったのです。
写真2:北欧デザインの器で自分で淹れたコーヒーを飲む
コーヒー豆はAarhusのLa Cabraから


自ら幸せになろうとしていいのだとも気づきました。
誰かを助けたい、誰かのために生きたい、自分の人生を誰かのために使いたい、そう思って生きてきましたが、もっと肩の力を抜いて生きてもいいはずです。
まずは自分を幸せにしてあげないと、誰かのための力は使えないのですから。


苦しい気持ちを抱えて生きる人へ

自己嫌悪や劣等感、将来への不安、いろんな苦しい気持ちを抱えて生きている人がたくさんいると思います。
でもそれはきっと、あなたが悪いわけでも、取り除けないわけでもありません。


僕の場合は、デンマークという国に来たことで自分を取り戻すことが、いや、新しく見つけることができました。
北欧ではなく、他の国に居場所を見つける人がいるかもしれません。
もしかしたら日本の中にあるのかもしれません。
でも今過ごしているのとは全く違う環境に身を置いてみることが、きっとあなたの助けになると僕は思います。


ここまで読んでくれてありがとうございました。
僕の人生が誰か一人の助けになれば、本当に嬉しいです。


この記事を書いた人
榊原尚宣 (22) 
北海道大学工学部建築コース休学中。
2019年1月からNordfyns Højskole、9月からVestjyllands Højskoleに留学。
興味の対象はコーヒー、日本酒、食、農業、環境問題、持続可能性など。コーヒーの焙煎技術を身につけ、生産国にも訪れることが目標。ドイツの大学で農業と環境問題を学ぶ道も検討中。