ゲストライター・たかさんがデンマークに来た経緯・その理由を語ります。
悩んだ中高時代とデンマークを経験した今、何がたかさんの中で変わったのでしょうか。
私がデンマークに来た理由は中学時代に遡ります。
私は栃木県の小さな町で生まれました。中学校に入るまでは、何不自由なく幸せに育ってきました。
私の中学校は小さな町に1つだけの中学校。田舎ということもありとても荒れていました。
多くのイジメ。母親の自殺を境に不登校になる生徒。授業と休み時間の区別はありません。中学3年間で数名の逮捕者。
当時、自分の学校は栃木県で1番荒れてる学校と言われていて、他の中学校の友達に自分の中学校の名前を言うと『そこはヤバイ』と決まり切った言葉が返ってきていました。
誰とでも隔たりなく仲良くなりたかった僕は、世間的には不良と呼ばれる集団グループとも仲良くなりました。
学校生活を通し仲良くなっていきましたが、休み時間に一緒にいたり、仲良く話している姿を教員たちに目撃されるにつれ、教員たちから自分が目をつけられるようになりました。
具体的には、彼らと一緒にいるだけで呼び出され、長時間の説教をされたりと。
常に自分を変えるよう言われ、自分を否定され続けてきました。
僕は大人を嫌い、次第に信頼しなくなっていました。
そして学校へ行かなくなり、友達と昼間から飲酒、夜遊びに明け暮れるようになっていました。
このままではダメだ。何か変えなきゃと思い自力で高校、大学へと進学しました。しかし、何も目的もないまま学生生活を送っていました。
そんな大学3年次、ある日学校の授業でデンマークについて知りました。
世界一幸せな国。充実した社会福祉制度。全国民に行き届いている教育。
誰もが羨む夢のような国の存在を知り、中学生時代学べなかったことを学ぶべく、幸せを探すべく、デンマークに渡航しホイスコーレでの生活を決めました。
ホイスコーレでの6ヶ月の生活を通し、僕は日本では学ぶことのできなかった沢山のことを学びました。
100人のデンマーク人との共同生活を終え、僕は他人を否定せず、個性としてみとめること。そしてそれは信頼関係に繋がることを学びました。
ホイスコーレではなんでもありです。実際に僕が滞在していた期間に日本では体験できない数々のことがありました。
授業を休んで旅行する生徒。学校にストリップガールを呼ぶ生徒。真夜中まで飲み騒ぐ生徒。大学進学に向けて勉学に励むもの。
ここまで自由だと、理解し合えない生徒同士が現れ問題が起こるかと思います。
しかし、6ヵ月のホイスコーレ滞在中一度も生徒同士の揉め合いを見ていません。
それは異なる価値観も否定をせず、しっかり個性として認めている証しであると考えます。
価値観が合わないときは否定をするのではなく、一歩離れて深く干渉しない。また価値観の押し付けをしない。一方で同じ価値観を持った時は協力する。これが信頼関係に結びつきます。
デンマーク人はどんな個性も1つの個性として皆が認めてます。だから他人を否定しません。
単純なことかもしれませんか、中学時代の僕は先生から自分の個性を否定され続けていたあまり、大人との信頼関係というものが欠けていました。
Never change the way you are, please! 「あなたはあなたのまま絶対変わらないで!」
これはデンマーク人の友達にお別れの際に言われた言葉なのですが、21年間の人生を通してこのような言葉を言われたことがありませんでした。むしろ、常に変わるように言われ育ってきたのでとても感銘をうけました。
自分自身の個性を初めて認められた瞬間です。
人を否定しない。そして信頼関係を築く。これは人間があるコミュニティで幸せに生きてゆくうえで必要不可欠のものだと思います。
まずは自分が人を否定しない。1つの個性として受け入れる。そして他人を信じる。
そうすれば他人から自分が信頼され、信頼関係が生まれます。
カナダの経済学者、John Helliwellの著書(The geography of bliss)によると「人は信頼無しでは幸福は築けない。この2つは切っても切り離せない関係だ」と言います。
僕はホイスコーレで、幸せは探すべきものではなく、信頼できる人と共に創り上げるべきものだと学びました。そして、1人、2人…と信頼できる人が増えれば、そこには信頼できるコミュニティができます。その信頼によって作られたひとつのコミュニティがデンマークだと私は思っています。
信頼できるコミュニティに身を置き、信頼できる人と共に生活する。これが幸せです。
当時の自分と同じ境遇の人1人にでも自分がデンマークで学んだことが伝わればと思い今回記事を書かせていただきました。
悩んだ中高時代とデンマークを経験した今、何がたかさんの中で変わったのでしょうか。
【なぜデンマーク?】
私がデンマークに来た理由は中学時代に遡ります。
私は栃木県の小さな町で生まれました。中学校に入るまでは、何不自由なく幸せに育ってきました。
私の中学校は小さな町に1つだけの中学校。田舎ということもありとても荒れていました。
多くのイジメ。母親の自殺を境に不登校になる生徒。授業と休み時間の区別はありません。中学3年間で数名の逮捕者。
当時、自分の学校は栃木県で1番荒れてる学校と言われていて、他の中学校の友達に自分の中学校の名前を言うと『そこはヤバイ』と決まり切った言葉が返ってきていました。
誰とでも隔たりなく仲良くなりたかった僕は、世間的には不良と呼ばれる集団グループとも仲良くなりました。
学校生活を通し仲良くなっていきましたが、休み時間に一緒にいたり、仲良く話している姿を教員たちに目撃されるにつれ、教員たちから自分が目をつけられるようになりました。
具体的には、彼らと一緒にいるだけで呼び出され、長時間の説教をされたりと。
常に自分を変えるよう言われ、自分を否定され続けてきました。
僕は大人を嫌い、次第に信頼しなくなっていました。
そして学校へ行かなくなり、友達と昼間から飲酒、夜遊びに明け暮れるようになっていました。
このままではダメだ。何か変えなきゃと思い自力で高校、大学へと進学しました。しかし、何も目的もないまま学生生活を送っていました。
そんな大学3年次、ある日学校の授業でデンマークについて知りました。
世界一幸せな国。充実した社会福祉制度。全国民に行き届いている教育。
誰もが羨む夢のような国の存在を知り、中学生時代学べなかったことを学ぶべく、幸せを探すべく、デンマークに渡航しホイスコーレでの生活を決めました。
【デンマークから学んだ幸せのあり方】
ホイスコーレでの6ヶ月の生活を通し、僕は日本では学ぶことのできなかった沢山のことを学びました。
100人のデンマーク人との共同生活を終え、僕は他人を否定せず、個性としてみとめること。そしてそれは信頼関係に繋がることを学びました。
ホイスコーレではなんでもありです。実際に僕が滞在していた期間に日本では体験できない数々のことがありました。
授業を休んで旅行する生徒。学校にストリップガールを呼ぶ生徒。真夜中まで飲み騒ぐ生徒。大学進学に向けて勉学に励むもの。
ここまで自由だと、理解し合えない生徒同士が現れ問題が起こるかと思います。
しかし、6ヵ月のホイスコーレ滞在中一度も生徒同士の揉め合いを見ていません。
それは異なる価値観も否定をせず、しっかり個性として認めている証しであると考えます。
価値観が合わないときは否定をするのではなく、一歩離れて深く干渉しない。また価値観の押し付けをしない。一方で同じ価値観を持った時は協力する。これが信頼関係に結びつきます。
デンマーク人はどんな個性も1つの個性として皆が認めてます。だから他人を否定しません。
単純なことかもしれませんか、中学時代の僕は先生から自分の個性を否定され続けていたあまり、大人との信頼関係というものが欠けていました。
Never change the way you are, please! 「あなたはあなたのまま絶対変わらないで!」
これはデンマーク人の友達にお別れの際に言われた言葉なのですが、21年間の人生を通してこのような言葉を言われたことがありませんでした。むしろ、常に変わるように言われ育ってきたのでとても感銘をうけました。
自分自身の個性を初めて認められた瞬間です。
人を否定しない。そして信頼関係を築く。これは人間があるコミュニティで幸せに生きてゆくうえで必要不可欠のものだと思います。
まずは自分が人を否定しない。1つの個性として受け入れる。そして他人を信じる。
そうすれば他人から自分が信頼され、信頼関係が生まれます。
カナダの経済学者、John Helliwellの著書(The geography of bliss)によると「人は信頼無しでは幸福は築けない。この2つは切っても切り離せない関係だ」と言います。
僕はホイスコーレで、幸せは探すべきものではなく、信頼できる人と共に創り上げるべきものだと学びました。そして、1人、2人…と信頼できる人が増えれば、そこには信頼できるコミュニティができます。その信頼によって作られたひとつのコミュニティがデンマークだと私は思っています。
信頼できるコミュニティに身を置き、信頼できる人と共に生活する。これが幸せです。
当時の自分と同じ境遇の人1人にでも自分がデンマークで学んだことが伝わればと思い今回記事を書かせていただきました。