先日、フォルケホイスコーレでの生活が終わりました。フォルケホイスコーレで過ごして、外国の「フォルケホイスコーレ」で自分がたくさんのことを感じ、学びました。
でもそれと同時に、もし日本で、母国語である日本語で、日本人に囲まれながら、このフォルケホイスコーレの生活ができたとしたら、それはどんなに素敵な経験になるのだろうと想像したりしました。それだけ、デンマーク人にとってデンマークにフォルケホイスコーレがある意義は大きいのだと思うのです。
ということで、私がフォルケホイスコーレで生活して感じたフォルケホイスコーレの意義を言葉にしていきたいの思います。
今日は一つ目、それは『誰もが「学生」になれる』ということです。
デンマークでは何歳になっても学生になれます。
しかも、人生を学ぶ学校の学生に。
学生は、自分が無知であることを知っています。
だって、新しいことに出会うたびに何も知らなかったと気付くから。
学生は、素直です。
だって、学ぶにはまずは無知を認める素直さが必要だから。
学生は、未熟で怖いもの知らずです。
だから、自分も何かできるのではないかと希望を持てるのです。
学生は弱いけど最強だと思います。
でも一度卒業したら、学生には戻れないのでしょうか?
そうではありません。
一度社会に出た後でも、戻れる場所がここデンマークにはあります。
フォルケホイスコーレは「人生の学校」なのです。
ここには成績で上下関係もなければ、生きた年数で序列関係もありません。
今まで積み上げてきた学歴や表彰歴も関係ありません。
みんなが学び合う。
大人だって知らないこともあれば、間違えることだってある。
先生だってそうです、だから学び合えるのです。
ここはユートピアなのかもしれません。
毎日三食美味しいご飯が提供されて、寝る場所も確保されている。多様な仲間がいる。そして、誰も誰からも一つの軸で判断されない。
資本主義社会の枠組みから少し離れている。お金を稼ぐことや名誉から一度距離を取って、ここでの時間を楽しむ余裕をつくる。
だからこそ理想を語ったりできる。青臭くなれる。人間とは何か、自分はどう生きたいか。
常識を一度疑う時間の余裕を持てるのです。
それに、「自分のやりたいこと」「ワクワクすること」に全力で耳を傾けられます。
私の学校では、たくさんの選択科目がありました。
どこのフォルケホイスコーレもそうなのでないでしょうか?
私はプロジェクトマネジメントを学ぶイベントラボ、ショートフィルムを作成するフィルムプロダクション、ジェンダーや性を学ぶボディ・ジェンダー・セクシュアリティ(KKS)を選択していました。
フィルムプロダクションやイベントラボみたいにチームをつくって動くのが好きなので、それをやりたかった。ジェンダーに興味があったからKKS。そんな感じで選びました。
だけど、そのほかの選択肢もたくさんあります。
例えばアウトドアをやりたかったら、アウトドア、ハンティング、アドベンチャースポーツを選択することもできます。音楽がやりたかったら、サウンドハウス、バンド、歌を選択することもできます。サステイナビリティやメディテーションに興味があれば、メディテーション、キッチンガーデン、パーマカルチャーを選択できます。
好きなことが固まっていればそれを中心に選択できます。
そうでなければ、おもしろそうなものを取って試す、そしてもし合わなければ変更する自由もあります。
ここでの授業は別に大学で何を学びたいか?将来どんな職業に就きたいか?といった具体的なものを学ぶものではないのです。
人生を豊かにするのに必要なことなら何でもカリキュラムにできるそうです。
日本だと、特に首都圏だと公立学校の場合も高校からは偏差値によって過ごす環境が異なります。出会う友達も変わります。話す内容も変わるのでしょう。どうしても、同じような家庭状況や偏差値の、同質的な人たちと出会いやすくなってしまいます。
だけど、フォルケホイスコーレに学力や出身や経済状況は関係ありません。
年齢だって関係ありません。
ちなみに、学力に関しては高校にも言えることで、友達に聞いた話ではデンマークでは一般的、高校まで皆地元の公立高校(偏差値などのレベル分けは無い)に通います。そしてその高校内で様々なレベルのクラス(三段階)があり、自分の興味や関心に合わせて浅く学ぶか深く学ぶかも選択できるようになっています。
誰もがこの「学生」という身分を手に入れられる。
誰もが間違えるし、新しく学ぶことができる。
そんな場所が日本にももっとあればいいなと思いました。
学力(偏差値)や年代を超えて学び合う。
別にフォルケホイスコーレである必要はないのです。
ただ、デンマークにとっての「そんな場所」としてフォルケホイスコーレがある。
純粋にこういう空間っていいなと思いました。
これが私が感じたデンマーク人にとってのデンマークにフォルケホイスコーレがある意義のひとつ目です。二つ目以降、また書いていきたいなと思います!
能條 桃子 Follow @momokonojo
慶應義塾大学経済学部休学中。
大学では井手英策研究会に所属し、財政社会学を学んでいる。
関心テーマは、若者の政治参加、多世代交流、リカレント教育、女性の社会進出や都市化と家族・地域のカタチなど。
NO YOUTH NO JAPANという団体をやっています。
でもそれと同時に、もし日本で、母国語である日本語で、日本人に囲まれながら、このフォルケホイスコーレの生活ができたとしたら、それはどんなに素敵な経験になるのだろうと想像したりしました。それだけ、デンマーク人にとってデンマークにフォルケホイスコーレがある意義は大きいのだと思うのです。
ということで、私がフォルケホイスコーレで生活して感じたフォルケホイスコーレの意義を言葉にしていきたいの思います。
今日は一つ目、それは『誰もが「学生」になれる』ということです。
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青空教室の様子 |
デンマークでは何歳になっても学生になれます。
しかも、人生を学ぶ学校の学生に。
学生は、自分が無知であることを知っています。
だって、新しいことに出会うたびに何も知らなかったと気付くから。
学生は、素直です。
だって、学ぶにはまずは無知を認める素直さが必要だから。
学生は、未熟で怖いもの知らずです。
だから、自分も何かできるのではないかと希望を持てるのです。
学生は弱いけど最強だと思います。
でも一度卒業したら、学生には戻れないのでしょうか?
そうではありません。
一度社会に出た後でも、戻れる場所がここデンマークにはあります。
フォルケホイスコーレは「人生の学校」なのです。
ここには成績で上下関係もなければ、生きた年数で序列関係もありません。
今まで積み上げてきた学歴や表彰歴も関係ありません。
みんなが学び合う。
大人だって知らないこともあれば、間違えることだってある。
先生だってそうです、だから学び合えるのです。
ここはユートピアなのかもしれません。
毎日三食美味しいご飯が提供されて、寝る場所も確保されている。多様な仲間がいる。そして、誰も誰からも一つの軸で判断されない。
資本主義社会の枠組みから少し離れている。お金を稼ぐことや名誉から一度距離を取って、ここでの時間を楽しむ余裕をつくる。
だからこそ理想を語ったりできる。青臭くなれる。人間とは何か、自分はどう生きたいか。
常識を一度疑う時間の余裕を持てるのです。
それに、「自分のやりたいこと」「ワクワクすること」に全力で耳を傾けられます。
私の学校では、たくさんの選択科目がありました。
どこのフォルケホイスコーレもそうなのでないでしょうか?
私はプロジェクトマネジメントを学ぶイベントラボ、ショートフィルムを作成するフィルムプロダクション、ジェンダーや性を学ぶボディ・ジェンダー・セクシュアリティ(KKS)を選択していました。
フィルムプロダクションやイベントラボみたいにチームをつくって動くのが好きなので、それをやりたかった。ジェンダーに興味があったからKKS。そんな感じで選びました。
だけど、そのほかの選択肢もたくさんあります。
例えばアウトドアをやりたかったら、アウトドア、ハンティング、アドベンチャースポーツを選択することもできます。音楽がやりたかったら、サウンドハウス、バンド、歌を選択することもできます。サステイナビリティやメディテーションに興味があれば、メディテーション、キッチンガーデン、パーマカルチャーを選択できます。
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バンドクラスの発表の様子 |
好きなことが固まっていればそれを中心に選択できます。
そうでなければ、おもしろそうなものを取って試す、そしてもし合わなければ変更する自由もあります。
ここでの授業は別に大学で何を学びたいか?将来どんな職業に就きたいか?といった具体的なものを学ぶものではないのです。
人生を豊かにするのに必要なことなら何でもカリキュラムにできるそうです。
日本だと、特に首都圏だと公立学校の場合も高校からは偏差値によって過ごす環境が異なります。出会う友達も変わります。話す内容も変わるのでしょう。どうしても、同じような家庭状況や偏差値の、同質的な人たちと出会いやすくなってしまいます。
だけど、フォルケホイスコーレに学力や出身や経済状況は関係ありません。
年齢だって関係ありません。
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ヒュッゲの時間 |
ちなみに、学力に関しては高校にも言えることで、友達に聞いた話ではデンマークでは一般的、高校まで皆地元の公立高校(偏差値などのレベル分けは無い)に通います。そしてその高校内で様々なレベルのクラス(三段階)があり、自分の興味や関心に合わせて浅く学ぶか深く学ぶかも選択できるようになっています。
誰もがこの「学生」という身分を手に入れられる。
誰もが間違えるし、新しく学ぶことができる。
そんな場所が日本にももっとあればいいなと思いました。
学力(偏差値)や年代を超えて学び合う。
別にフォルケホイスコーレである必要はないのです。
ただ、デンマークにとっての「そんな場所」としてフォルケホイスコーレがある。
純粋にこういう空間っていいなと思いました。
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卒業パーティーでの集合写真(多種多様な友達がいます) |
これが私が感じたデンマーク人にとってのデンマークにフォルケホイスコーレがある意義のひとつ目です。二つ目以降、また書いていきたいなと思います!
この記事を書いた人
慶應義塾大学経済学部休学中。
大学では井手英策研究会に所属し、財政社会学を学んでいる。
関心テーマは、若者の政治参加、多世代交流、リカレント教育、女性の社会進出や都市化と家族・地域のカタチなど。
NO YOUTH NO JAPANという団体をやっています。
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